タイトル未定

アニメとか映画とか小説の感想を書いたりします。予定です。未定なんです。

劇場版『名探偵コナン 純黒の悪夢』を見た

 

(勢い余ってガンガンネタバレしまくる予定なので未見の人は回れ右かもだぜ(洋画的空気にアテられて思わず戸田奈津子訳))

 

暗い室内。一角だけ明るいモニター上を流れる情報。飛び交う「MI6」「CIA」「赤井秀一」「水無怜奈」「安室透」の文字、そして顔写真。それらを食い入るように眺め続ける一人の女性。黒の組織キュラソー。自らの役目を終え、去ろうとする彼女の元に駆けつける男たち。公安=安室透。自らの領域、警察庁に踏み入られた彼らの必死の追走を振り切り、車で逃走するキュラソー。それを追う安室の間に割って入るもう一人の男。FBI=赤井秀一。暴く者、潜む者、かつては潜み今は暴く者。三つの組織の、三人の激しいカーチェイス。逃走に失敗したキュラソーは海へと沈み、そして……。

 

名探偵コナン』劇場版シリーズも、記念すべき20作目。めでたい。

世良ちゃんショック(73巻で登場したボクっ娘女子高生探偵しかもCV:日高のり子の新キャラ、世良真純にすっかり心を奪われたという話)によって、久しく遠ざかってたコナンに復帰し、アニオリの面白さにも目覚め、異次元からは劇場で見ることにしている劇コナ。その20作目の今作には実を言うとあんまり期待してなかったのでした。

だって、ジンやベルモットが出てくる=組織絡みの話でしょ? そういう話はあくまで本誌の方でじっくりと謎に迫っていくからから面白いのですよ。あくまで何がしかの事件があって、その犯人がいて、そこに組織も絡めてくるとなるとこれは下手な脚本だとバランス良くないわ面白くないわで大変だぞと、自動的にハードルがグングン上がっていたのでした。加えて、面白くはあるものの自分の中では微妙にしこりの残る監督・静野さん×脚本・櫻井さんのコンビ。『天国』の頃ならまだしも、キールやバーボンという内部の協力者、赤井秀一やFBIという力強すぎる味方を得たコナン君。正味二時間弱の、TVシリーズとは離れての起承転結が必要になる劇場作品で、組織を絡めて一体今更どんな「ミステリー」になるというのか。

答えは簡単。「ミステリー」を消した。

 

この作品で恨み辛みによる殺人は起こらず、コナンはおっちゃんの口を借りなければ一体一で犯人を追いつめることも無い。「黒の組織」とそこに潜入しているスパイたち、そして記憶を失った構成員キュラソーを軸としたドラマが軸で、今回の江戸川は正直あんまり主人公っぽさもない。組織が狙うのはキュラソーの奪還と、キールやバーボンのスパイ行為の真偽であって、「江戸川コナン=工藤新一」の話にはかすりもせず、毎年恒例の蘭姉ちゃんピンチパートもない。

にも関わらずここ最近だと正直一番楽しめた気がして複雑で、こうしてダラダラと書いてしまっているんだなぁ。

 

静野監督の劇コナは実はまだ全部観たわけじゃないんだけど(『沈黙の15分』を見てないのは失敗したな、と思った)、それでもやっぱり「見た目は子供、頭脳は大人」の「見た目は子供」をどこかにおきざりにしたような、ド派手なアクション志向の監督だというのが一番のイメージ。アクションシーンの絵面がかなり魅力的というのは確かだけど、結果としての屋台崩しじゃなく、目的としての屋台崩しなんじゃないかという気に見ててなるようなアクションシーンの連続に、若干参ってたのも確か。だって俺が見たいのは「ミステリー」だったから。

一方櫻井武晴さんの脚本は、『絶海』の時はかなり好きだったけど『業火』は尺の配分とキャラクターの使い方が今一つ自分に刺さらなかった。何故かと今考えてみると、どうもキッドみたいな華々しいキャラクター主導の物語だったのが櫻井さんの理知的な、ロジカルな脚本と合わなかったんじゃないかなぁなんてエラそうな事を。経歴見れば歴然なように、『相棒』や『科捜研』など、キナ臭い事件や謀略じみた話の方が、合うんじゃないかなんてエラそうなことパート2。

そこのところを考えると今回は、明らかハリウッド超大作的ドンパチ志向&007的諜報戦風物語に露骨に舵を切って、『名探偵コナン』という作品を下地に互いの自己実現を成し遂げたかのような静野櫻井コンビの作風の奇跡的な融合が、作品を大勝利に導いたのではないでしょーか(意地の悪い皮肉とかじゃなくてホントに楽しかったし褒めてる)。

 

いやもう、完全に洋画というかハリウッド×イギリス映画的な映画だったんですよマジで。序盤も序盤、クレジットの出し方からしてなんだなんだミッションインポッシブルかなんなんだ、と思ってたらキュラソー対安室さんの格闘シーンと、続く、車が雨のように降るワイスピ式カーチェイスでただただ身を委ね、「今回はこういうスタンスで見れば良いんだな」とマインドをセット出来たのでかなり親切設計だった。博士の車の中で、今回の舞台となる東都水族館の説明映像が流れると「ハイハイ、今回の被害者ね」と思ってしまうくらいには。いや、あそこまでぶっ壊れるとは思わなかったけども!

話が進むと、今度はキュラソーの得た情報から各地のスパイが組織のメンバーによって狩られる。国が転々と変わり、一人また一人と暗殺されるシーン、短いながらも改めて組織の冷酷さと領域の広さが描かれてて地味に好きです。007感あって。というか『スカイフォール』感あって。その中でもスパイの一人、リースリングが消されるシークエンス。後ろから追うウォッカと、前から立ちふさがるジンのイキイキっぷりと言ったら……! 「聞こえるか毛利小五郎」辺りから鉄板となってしまった愛すべきアニキ、ジンのポンコツっぷり。まぁぶっちゃけ今回もポンコツではあるのだけれど(スイッチカチカチ→笑顔→踏む(割れない)のシーンはヤバかった)、それでもやっぱり、ウォッカやベルモットですら躊躇する中で嬉々として味方に銃を向け、楽しそうに語りかけるジンさんは冷酷さと残虐さが見られて大変良かった。いやー、ジンがエレベーターから降りてきて、縛られた安室さんの方に歩みながら鼠の話をして太ももをさすったり、金玉をロープの結び目で叩いたりしなくて良かった。

 

さて、 コナンが印象薄い変わりに今回かなり楽しかったのはやっぱり安室さんと赤井さん。特に安室さん。

良い年のオッサン二人が観覧車の上で殴り合うシーンは本当に愛おしかったです。何してるんだお前らと。心なしか赤井さんはジェット・リーっぽく見えるし。大体、アムロ役の古谷さんが安室さん、シャア役の池田さんが赤井という配役だけで出落ちなのに青山先生はオマケに安室さんの本名を「降谷」にする原作の遊びっぷり。それすらもう大概なのに、誰がトチ狂ったのかは知らないけど、今回の安室の部下の風見さんのCVがカミーユ役の飛田展男さんで、ひたすら「降谷さん」と呼ばせるという開き直りっぷり。いいぞもっとやれ。

劇場版初出演が20作目という節目で、おまけにほぼ主役的ポジションで出してもらえた、二枚目にも三枚目にもなりきれず、強くも弱くもないけど、その人間臭さが好みの安室さん。赤井を執拗に「FBI」と呼び、やたらと突っ掛っては大人な対応で躱される安室さんを劇場で見せてくれて感謝感謝。この映画、何が良いかと言うと、同じ目線で共に並べる大人がコナンの周りに二人もいること。「安室さん」「赤井さん」と呼び、彼らを頼り、心配する時の江戸川は、探偵団の面々といる時の大人びた感じでもなく、ジョディ先生たちといる時の、訳知りだけどあくまで子供な感じでもなく、もう一線踏み込んだ「高校生という実年齢からの大人への眼差し」みたいな、敬意もクソも無い工藤君にはあまり見られない珍しい一面が顔を覗かせててかなり好きなのです。まぁ松田さんとの交流まで行くと流石にちょっとこう、劇場で描いて良いレベルを過ぎるというかなんというかな気がしないでも無いですが。……ズルいじゃないっすか、そういうの。

 

そういう、キャラクター周りをキッチリ使う面白さだったからこそ細かい点が気になるというか、「名探偵コナン」であることが気になるのでした。という所で劇コナ恒例になりつつあるキャラ周りへの重箱パンチ。

ひとえに「脚本が」なんて言っても、そこには多くの人のチェックが入ってるわけで、それが真実脚本段階のモノなのかどうかも、脚本とコンテを比べて見ないと分からないのがホントの所だけど、やっぱり櫻井さんの脚本に惜しいと感じるのはキャラ周りなのです。博士が発明以外は割と耄碌爺なのはまぁ良いとして(良いのか)、今回は探偵団と、その他のキャラとの関わり方にちょっとムムムとなった。

光彦が携帯で連絡を取る高木刑事も園子も、それは「そうしないと話が進まないから」という「役割」じみた使われ方で、実際高木刑事は「いつもの流れ」でキュラソーに会わせてくれるし、園子も観覧車に乗せてくれる。でも、そこで彼・彼女の役割は終わってしまうので、その後その場にいたとしても、それが別に高木刑事でも園子じゃなくても良いんじゃない?となってしまうという話。別に悪かないけど、それならこれみよがしに携帯の画面をこっちに見せてきてまで呼んで「いつもの流れ」なんて説明放棄したメタっぽいやり方じゃなくてもっとこう……と。

あと、新一が園内にいるかも、と聞いて楽しそうに「誰といるかが問題」とハシャぐ園子は割と自分の中の園子と噛みあわないし、そもそも元太って、あんな悪びれもせずに自分の過失で落っこちて迷惑かけて次のシーンで博士をバカにするような子だったっけとか、まぁ色々あるにはあります。でもそういうのはキャラの解釈の問題だから、書きまくった割には大して気にはしていないのでした。実際面白かったし。

むしろ問題なのは、爆弾解体の時みたいに細かく心情を語る割に、キュラソーの能力の件や新一の蘭への説明を(EDでそれらしいことをしてるような暗示はあったし、「サッカーボール」に気付いた時点で新一の事件への関与に蘭が気付いただろう、というアッサリした描き方は好き)一切ないまま進めるくらいまだ微妙に枠におさまらない脚本かなぁと。FBIは結局目立った活躍を見せないし。とはいえこれもまぁ好き嫌いということで。あと今回も「真実はいつも、ひとぉつ!」でした。これが一番気になる(毎年言ってるなこれ)。

 

そういう色んな、良いところ悪いところ含めて、最終的にこの作品は相当好きな部類に(見たばっかりの状態、というのも多いにある)入ってるんだけど、その理由はズバリ一つ、キュラソー

黒の組織のNo.2・ラムの腹心。事故のショックで記憶喪失となり、探偵団の子供たちと触れ合う中で色々なものが芽生え始める彼女。

なんというか、言ってしまえばズルいですよねこのキャラ造形は。予告編見た時から、好きなデザインのキャラだなぁとは思ってたけど、蓋を開ければそりゃまぁ好きにならざるを得まいという圧倒的洋画の殺し屋キャラ。つーかレオン。組織の一員で、バリバリ戦闘もこなすけど、記憶喪失時には子供たちを見て笑顔を見せ、記憶を取り戻してからはその想い出にゆり動かされ、灰原を、皆を助けようとする。ズルいよキュラソーさん、可愛すぎんだもん。

前二作のゲスト声優が、申し訳ないけど発声演技共に役柄に対して実力不足に思えたのに対して、今回のキュラソー役・天海祐希さんは流石だった。洋画や海外アニメでの吹き替えの巧みさは知ってたので不安は無かったんだけど、記憶喪失前後のキャラの違い、凛とした声、そして最期の叫びと、いち声優としてとても良かった。

徐々に徐々に彼女を好きになりながらも、結局待ち受けてる結末はというと、因果応報というか、こうなる他ないという落としどころなんだけど……。やっぱりやるせねぇよう。無茶は承知で、どうにか生き残ってはくれまいかとか思ってるボンクラの頭を貫く「遺体」という台詞。そりゃそういう結末になるよなぁと。こういう、業を背負ってる人間の末路は好きなんだけど……好きなんだけど……!

そういう、割と感情をかき乱されるタイプのゲストキャラって個人的にパッと思いついたのが成実先生とかヒロキ君とかそんな感じだったのでやっぱりコナンらしいようなコナンらしくないような映画だったなと思いました。

 

思うままにブワっと書いたら、感想がフワフワしてるわ読みにくいわだけれど、Twitterにチマチマ書くよりは今回はこの方がしっくりくる、そんな色んな感想の出てくる楽しい映画でした。問題点が気にならずにはおれないけど、それを補ってあまりあるバイタリティに溢れた20作目。そういえば10作目のとあるキャラの声優のことを考えると、あぁ10年越しの銀幕なんだなぁとかそんな面白さも。グダグダと書いたけれど、観終ってすぐにこうして久しぶりにブログを更新するくらい好きですし、時間が合えば何回か見たいなと思います、『純黒の悪夢』

 

声優と言えば。これまでジェイムズ・ブラックの声を担当されていた家弓家正さんの逝去に伴い、ジェイムズの声は土師孝也さんが引き継ぐことに。今回ジェイムズが出ることをそもそも知らなかったので、劇場で土師さんの声を聞いてやっぱりこの人だったかと少し安心しました。というのも、自分の中で家弓さんの後任としてジェイムズ・ブラックを演じて欲しい声優の筆頭が土師さんだったんです。コナンは長期のアニメシリーズだし、既に多くのキャラクターの声優が変わっていて、それによってその前後でキャラクターに違いが出たりもしてます。家弓さんが演じられたジェイムズ・ブラックというキャラクターと、土師さんがこれから演じられるジェイムズ・ブラックというキャラクターでは、多少受ける印象も変わってくるかもしれません。だからこそ、家弓さんのジェイムズを忘れないようにしながら、土師さんのジェイムズの活躍をこれからも見ていきたいなと、ジェイムズ好きとして、土師さんのファンとして、そして家弓家正さんが大好きな一人の男として思うのでした。家弓さん、改めてお疲れ様でした。土師さん、ジェイムズ・ブラックを今後ともよろしくお願いします。